“世界からボクが消えたなら”

“世界からボクが消えたなら”

もし自分が明日死んでしまうとして、この世界からモノを一つ消すかわりに自分の余命を一日だけ増やせる取引があるとしたら、あなたはどうしますか? この本を読む前の私はきっとこの取引に迷わず賛成したと思います。自分が生き続けることができるのなら、世界からモノが何個消えてもどうでも良いと考えたからです。

「世界からボクが消えたなら」、この物語は主人公の飼い猫であるキャベツの視点から描かれた人と人の絆、様々な思いや感じ方の違いに気付き、キャベツがだんだんと感情について知り、出来事と共に成長していくものです。物語は余命わずかと宣告されたキャベツのご主人さまが、自分と同じ姿をした悪魔と取引をしたところから始まっていきます。取引の内容は「この世界からモノを一つ消すかわりに命を一日ぶんだけ延ばす」というもので、電話、映画、時計などとモノが一日ぶんの命と引き換えに一つ一つ消されていきます。また、飼い猫のキャベツはモノが消えていくたびに自分のご主人さまと結びついていた人の記憶までが失われていることに気づきます。物語の途中で悪魔は、主人公が飼い猫のキャベツをとても大切にしているのを感じ取り、世界から猫を消すという提案までもします。自分のことなんか消されても良いと考えるキャベツ、自分が死ぬべきなのかキャベツを含む猫を世界から消して余命を一日延ばすべきなのか悩む主人公の行動やそれぞれの心情が変化していくところに読んでいる私までも緊張や心配をしたので、ぜひ注目して読んでみてください。

この物語のなかで特に印象に残っているのは、キャベツの考え方や思いの変化です。この物語の世界観では猫は人の言葉を理解することができるのに対し、人は猫の言葉を理解することが出来ない設定でした。そのため、キャベツは自分のご主人さまが電話がきっかけで知り合った元彼女や映画がきっかけで知り合った友達が電話や映画が消えたことでそもそも出会っていないことになり忘れ去られてしまうのを目の当たりにし、自分のご主人さまが驚き、悲しんでいるのを見て、どうにかご主人さまのことを思い出させたいのに、ご主人さまを慰めたいのに言葉も伝わらない上、何も出来ないという無力感が私にまで伝わってきました。自分の大切な人が生きていくために世界からモノを一つ一つと消していき、それによって自分が大切にしている人が他の人に忘れ去られていくのは、想像するだけで辛いと私は思いました。また、悪魔が世界から猫を消そうと提案したときに悩む主人公とは違い、キャベツはほとんど迷わずご主人さまがそれで少しの間でも生きることができるのなら自分が消えてしまっても構わないという考えを悪魔に伝えました。キャベツはもともと人がもつ感情の愛や友情を理解できず、ご主人さまが世界からモノを消すのに悩むことが疑問で仕方ありませんでした。しかし、自分のご主人さまのためなら自分が消えてしまっても良いのかもしれないという考えが、自分が消えて忘れ去られたくないという考えよりも先に一瞬で出たことに、私は感動しました。なぜなら、私は「誰かのために消える」という考えをもったことがない上に、自分の命を必ず第一位に置いていたからです。

私はこの本を読んで人は一人として他人と関わらないことができず常に影響しあっていること、大切な人たちに忘れ去られるのはとても辛く悲しいということに気付かされ、自分が知らないうちに周りの人との絆が出来上がっていて、支え合うようになっているんだと改めて感じました。そして、自分がいつ死んでしまうのかは誰にもわからず、毎日が有意義で充実していなくても良い、自分なりに生活してできるだけ後悔がないようにするだけで自分は何かを成し遂げられているんだということを学ぶことができました。また、たとえ間違った選択をしてしまったとしても、後悔をするだけでなくどうすれば少しでも状況を良い方に変えることができるのか考え、行動することが大切だと思いました。

もし自分が明日死んでしまうとして、この世界からモノを一つ消すかわりに自分の余命を一日だけ増やせる取引があるとしたら、今の私は残された時間を自分の好きなことに使って、取引を拒むと思います。何かの存在を否定し消すことで自分の余命を延ばしていくよりも、大切な人に忘れ去られて悲しむよりも、残された時間をどう使っていくか、どう別れを伝えるかを考えた方が少しでも楽で、幸せでいられると感じたからです。

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